福岡地方裁判所 昭和33年(ワ)969号 判決 1959年10月19日
原告 株式会社谷口建材店
被告 大庭幸之進
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は
被告は原告に対し金十九万八千円及びこれに対する昭和三十一年三月一日より右金員完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、
其の請求の原因として
被告は実子大庭聖美の名義を使用して昭和三十年十一月十九日、額面金十九万八千円、支払期日昭和三十一年二月二十九日、支払地振出地福岡市、支払場所株式会社西日本相互銀行天神町支店なる約束手形一通を訴外樋口重成宛振出し、原告は同訴外人より右約束手形の裏書交付を受けた上、支払期日に支払場所に呈示して支払を求めたけれども支払を拒絶された。仍つて被告に対し右手形の額面金及びこれに対する満期日の翌日たる昭和三十一年三月一日より右金員完済まで年六分の割合による利息の支払を求める為本訴請求に及んだ、と述べ、なお被告の自白の撤回には異議を申出て、
立証として甲第一号証を提出し、原告代表者の供述を援用し、乙各号証の成立は認める、と述べた。
被告訴訟代理人は訴却下の判決を求め、
その理由として、原告は当初大庭聖美を被告として訴状を提出し同人に関して訴訟けい属が生じたものであるところ、後に訴状訂正の申立を以て被告名を大庭幸之進と変更したのであるから大庭幸之進は被告として訴訟けい属が為されているものではない、と言うのである。
次に仮りに有効な訴訟けい属が存するとした場合の答弁として、原告の請求原因事実は否認する。原告主張の約束手形の振出人は被告の二男大庭聖美であり、被告は右手形金の請求に応ずる義務は無い。と述べ、
立証として乙第一号証乃至第三号証を提出し、証人岸原光喜、大庭キヨの各証言、被告本人の供述を援用し、甲第一号証は否認する、と述べた。
なお、被告は一旦、原告主張の如き約束手形を被告が振出した事実は認めると述べたが、後被告訴訟代理人により右自白は錯誤に基き真実に反して為されたもの故撤回する、と述べられた。
理由
先づ被告に対して適法なる訴提起が為され訴訟けい属が生じているか否かの点について考察する。記録によれば原告は最初、大庭聖美を被告として訴状を当裁判所に提出し右同人との間に訴訟けい属を生ずるに至つたところ、同人に対する訴状送達前に被告名を大庭聖美こと大庭幸之進と訂正する旨の訴状訂正申立書が当裁判所に提出され、右申立書並びに訴状を大庭幸之進に送達したものである事実がうかがわれる。而して大庭聖美が大庭幸之進の通称乃至は別名であること即ち両者が同一人であることを認めるに足る資料は存在しないのであるから、右の場合は単なる当事者の表示の訂正では無く、当事者の変更であると解するのを相当とするところ、一般に当事者の任意的変更が訴変更の原則に則つて許されるか否かは問題の存するところであるが、訴訟けい属後と雖も訴状送達前に於ては、被告に対する関係では為されて来た訴訟手続、つまり攻撃防ぎよ方法の提出、といつた事は考えられず従つて亦在来の手続の訴訟資料等というものも存在しない。従つて訴訟手続のこのような段階に於ては原告の申立により被告の変更を許し、訴状の或る部分を利用せしめると共に新訴の提起により負担すべかりし貼用印紙の負担を蒙らしめることが、許されてよい場合も考えられ得ると解すべきである。本件の場合記録によれば同一の約束手形について振出人に手形金の支払を請求するものであり、その経済上の目的は全く同一であるから此のような場合には被告を変更することは許されると解する。従つて被告大庭幸之進に対しては適法な訴提起が存在し訴訟けい属が為されていると言うべきである。
そこで本案の審理に入る。思うに手形上に実在の他人名称を振出人として表示した場合であつても、自己が手形振出人としての債務を負担する意思の下に右名称を自己の偽名とする意図で使用したのであれば、それによる署名はやはり行為者自身の署名とみるべきである。原告は請求原因事実記載の約束手形は被告が実子大庭聖美名を使用して自己を振出人として振出した旨主張し、被告は一旦右事実を自白したが後、自白を撤回し右原告主張事実を否認するから、右自白の撤回が許されるか否かについて判断する。ところで自白もそれが真実に反し且つ錯誤に基くものであれば撤回も許されると解すべきところ、一般に実在人が振出人として記名捺印された約束手形がある場合には右名義人が振出人であると推定さるべきであつて、右名義人以外の第三者が振出人であつて名義人の名義を使用したものであると認める為には右確定をくつがえすに足る資料が存在しなければならない。例えば、振出人たる第三者は他の生活関係に於ても名義人名を使用している事実、手形振出についてことさらに第三者名を使用しなければならない事情、又逆に名義人には手形振出の原因を持ちえない事実、其の他が考えられる。今これを本件約束手形について見るに訴外大庭聖美が振出人として記名捺印されている事実は両当事者間に争なく従つて右大庭聖美が振出人として推定さるべく此の推定をくつがえし被告を振出人として認めるに足りる証拠はない。この点に関する原告会社代表者谷口登の供述も右認定をくつがえすに足らず、結局被告が本件約束手形の振出人である旨の自白は真実に反するものと言うべきである。次に被告本人の供述によれば同人の自白は振出行為の法律解釈を誤つた結果錯誤に基づいて為されたものと認められる。以上の次第であるから被告の自白の撤回は許されるものである。
そうしてみれば結局、原告の主張事実は之を認めるに足る証拠は無いものと言わねばならない。仍つて原告の本訴請求は失当なるものとして棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 宇野栄一郎)